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ちょいワル系イタリア西部劇映画監督レオーネ、正統派作曲家モリコーネと50年余の友情

最終更新日:2020年8月13日

先日、「ニューシネマパラダイス」の映画音楽の作曲家、エンニオ・モリコーネが91歳で永眠したニュースを紹介した折りに、モリコーネの小学校時代からの友人がセルジオ・レオーネという有名な映画監督で60歳という若さで他界していることを知った。

調べてみたら、長寿のモリコーネが優等生タイプなのとは対照的に、レオーネの方は不良少年タイプ。こんなふたりの映像と音楽が、映画の中で高い親和性を醸しだしているというのは面白い。レオーネの生き方には、最近の記事で書いたトリックスター的要素も見られる。(3,750文字。)

ググり力自慢です。先月、公開されたばかりの貴重な写真を見つけました!

モリコーネとレオーネ(1937)

小学校時代のモリコーネとレオーネ。自分たちの将来がどんなものになるのか、そしてどんな大きな接点が待ち受けているか、当時は知る由もなかった8歳のイタリア人少年ふたり。

それから約30年後、彼らはそれぞれ映画監督と映画音楽作曲家として世界中に名を馳せることになる。

モリコーネとレオーネ
出典:Lancashire Times

レオーネもモリコーネ同様、父親の影響を受けた

1929年1月ローマで生まれたレオーネ。父は、黎明期のイタリア映画界で活躍した映画監督で、母親は元女優。両親共に映画関係者だった。幼い頃から映画を身近なものとして慣れ親しみ、17歳で父親の反対を押し切って映画界入り。

同じくローマで、レオーネより2ヶ月早く生まれたモリコーネは父がプロのトランペット奏者で、幼い頃から楽器や音楽に触れていた(別記事参照)ので、ふたりとも親の影響を強く受けている。

職業監督として成功した歴史劇映画

長い下積み時代を経て、レオーネは、歴史劇映画(『ポンペイ最後の日』と『ロード島の要塞』)で興行的には成功を収めたが、後年これらの作品には全く思い入れがないと述べている。
これらの映画作品は、あくまで職業監督としての仕事に過ぎず、レオーネ研究家たちもこの時期の作品にはレオーネらしさが見られないと言っている。

適職と天職の違いですね。それなりに上手くこなせる仕事と、自分のたましいを入れて打ち込める仕事、後者にお金がついてくるのが理想ですが、そうはいかないことが多いのも現実です。

黒澤明の影響を受けて転機を迎える

レオーネは、イタリアで公開された黒澤明の『用心棒』(1961年)に感銘を受け、1964年に『用心棒』を西部劇風にした『荒野の用心棒』を監督。低予算で製作した作品にもかかわらず、本国イタリアだけでなく世界的に大ヒットし、1960年代後半のマカロニ・ウェスタン※ブームの火付け役となった。

マカロニ・ウェスタン(Spaghetti Western):1960年代から1970年代前半に作られたイタリア製西部劇を表す和製英語。イギリス、アメリカ、イタリアなどで、スパゲッティ・ウェスタン (Spaghetti Western) と呼ばれていたが、『荒野の用心棒』が日本に1965年に公開された際に、映画評論家の淀川長治が「スパゲッティでは細くて貧弱そうだ」ということで「マカロニ」と呼び変えた。

こんなところで淀川長治! また次のブログを書きたくなってしまいました。

「荒野の用心棒」から遺作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」まで続いたモリコーネとのコラボ

小学校の同級生だったレオーネとモリコーネは、プライベートでも親密だったが、レオーネは自分が監督した作品の音楽をことごとくモリコーネに任せている。彼がモリコーネの音楽にどれほど心酔していたかが伺えるエピソードが、いくつか残っている。

映画の撮影より先にモリコーネの映画音楽

ふつうは、映画の撮影を終えてから場面ごとに音楽を追加するものだが、レオーネは、撮影前にモリコーネが作曲した楽曲でイメージを膨らませてから、そのイメージに合わせた映画を撮影したこともあった。『続・夕陽のガンマン』のクライマックスシーンや『ウエスタン』などがそうで、ジョージ・ルーカスも『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』製作の際に、『ウエスタン』の音楽の使い方を参考にしたと言われている。

モリコーネの映画音楽に合わせて役者に演技させた

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では撮影現場でモリコーネの楽曲を流し、役者に音楽に合わせた演技をさせたという話も残っている。

レオーネの映像とモリコーネの音楽が醸し出す親和性

レオーネの映像とモリコーネの音楽は映画中で高い親和性を醸しだし、物語をよりドラマチックに演出している。

ウィキペディアより

俳優の個性を見出し、生かす才能

『荒野の用心棒』に出演し世界的に知名度を上げたクリント・イーストウッドは、それまで映画俳優としての評価はいまひとつだった。レオーネによって、世界的な大スターに押し上げられたイーストウッドは、その後、監督として西部劇『許されざる者』を公開する際に(レオーネの死から3年後の1992年)、レオーネに対する献辞を捧げている。

イーストウッドと同じく映画界から干されていたヴァン・クリーフも、『夕陽のガンマン』で抜擢され、レオーネの期待に応える演技を見せて一躍スターダムにのし上がった。

レオーネ作品のテーマ

新しい人間の登場により消えてゆく古い人間たち

レオーネ作品には、新しい人間の登場により消えてゆく古い人間たちを扱ったものが多い。

男同士の友情や裏切り

母親に甘やかされて育ったレオーネは少年時代に同年代の友人が少なく、そのため男同士の信頼関係というものに強い憧れを抱いていたと言われる。

『夕陽のガンマン』におけるモンコとダグラス・モーティマー、『続・夕陽のガンマン』におけるブロンディーとトゥーコ、『夕陽のギャングたち』におけるジョン・マロリーとフアン・ミランダあるいはジョンの旧友ショーン、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』におけるヌードルスとマックスなど、男たちの関係はしばしばレオーネ作品の軸となり、物語と密接な関わりを持っている。

ワンサポアメリカ、ラストシーンが衝撃じゃ。胸が締めつけられるで。友情の終わり。悲。

タイプのまったく違うモリコーネとの、現実での男同士の友情や信頼関係もレオーネにとっては特別の意味があったでしょうね。

少年時代からのアメリカへの憧れ

『ウエスタン』から『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』までは、それまでとは異なるアメリカの歴史物語であるとレオーネ本人が語っているが、これら後期の作品群は、幼い頃から憧れていた西部開拓史から近代社会までのアメリカの姿をレオーネなりに解釈した作品だと言われている。

わいが「ウェスタン」が好きなのは、少ないセリフで緊張感を保って進行する部分で、「ベニスに死す」のようなムードがあるところ。役者たちの巧さも、いかつい!
これが、わいら世代が1歳の頃に作られた映画とは。。。
7人の侍に影響を受けたとしても、ウェスタンのエンタメ度のブラッシュアップは、ハンパないよなー。
近日中に、またウェスタン見ます!(2020.8.10談)

数年ぶりのワンサポウェスト。やはり何もかもが最高だった。(2020.8.13談)

レオーネの死

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(Once upon a time in America)』の完成後、レオーネは次回作の脚本を執筆中に過労による心臓発作で1989年4月30日に60歳で逝去した。以前から肥満による健康問題があり、そのことも発作の原因となったと考えられている。

”Once upon a time in America”撮影中のレオーネとロバート・デニーロ

モリコーネの音楽が流れるレオーネの遺作

https://youtu.be/Jj5Xczethmw

太く短く生きた不良少年タイプと長寿の優等生

英語版のウィキペディアによると、レオーネには、ロバート・デ・ニーロを起用予定だった戦争映画以外にも、たくさんの構想中のプロジェクトがあったようで、それらを形にできないまま60歳でこの世を去った。

早すぎる死だったのは間違いないが、親の反対を押し切って入った子供の頃から慣れ親しんだ映画界で、長い下積みを経て、少年時代の夢を自分なりのこだわりのあるやり方でかなえた人生だったようにも見える。

英語もほとんど喋れなかったのに、ハリウッドの役者たちに身振り手振りで熱い演技指導しながら、不遇だった俳優たちを発掘して才能を磨き光らせたレオーネ。

幼な馴染みのモリコーネの方はどこから見ても正統派で、アカデミー賞とかゴールデングローブ賞などをいくつも受賞している一方、レオーネ映画は、”露悪的とも言える生々しい暴力描写”が、大衆受けはしても、保守的な批評家たちからは評価されなかった。

長寿の優等生もいいが、不良少年がそのまま大人になったようなレオーネのイメージは最近の記事で書いたトリックスターも連想させ、こんな生き方にもあこがれる。

(参考:ウィキペディア、2020年8月8日、記。)

■関連記事:以下に、レオーネ映画からの動画もいくつか挿入した。

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