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ペルソナの罠(わな)

ペルソナとは

ユングは、ギリシア・ローマ時代に舞台上で役者がつけた仮面の意味を表すラテン語から、わたしたちが他者に対して身につけている仮面を「ペルソナ」と呼びました。

洋服はペルソナ

わたしたちは裸で外を歩けません。何を身に着けるかは、周りに自分をどう見せたいかにかかわる舞台衣装といえます。

高級バッグ、カッコいいクルマ、美人のガールフレンド、立派な家・・・などの舞台での小道具もペルソナの一部です。

化粧もペルソナ

女性の化粧もまさしく仮面ですからペルソナです。

どれだけ厚塗りするかは、出ていく舞台に対する緊張感や構えによって違ってきたりします。

口紅の色ひとつでも、自分に似合うかどうかだけでなく、「上品に見せたい」、「快活に見せたい」、「セクシーに見せたい」・・・などによって入念に選ばれもするのです。

「素顔」には物理的なノーメイクという意味だけではなく、心理的な意味もあり、素顔を見せられる相手というのは一般的には気心のしれた相手です。

公の場でもノーメイクという女性の場合は、それもまたその人の「化粧という仮面は被らない」、「オンナオンナしたくない」などという主張のアピールになります。

職業もペルソナ

それぞれの職業には、その職業にまつわるイメージがあり、どんな仕事をするかは自分のアイデンティティとも関わるペルソナの大切な要素になります。

役割もペルソナ

ペルソナは役割でもあります。家庭内でも、親として、子供として、夫や妻として、それぞれ違う役割があり、わたしたちは役割に合わせて自然に「顔」を使い分けます。

わたしたちは、つねに状況に応じていろいろな役割をもつので、多くのペルソナを持ち、 ペルソナに合わせて言葉づかいや声のトーンまで変えたりします。

シェイクスピアのよく知られた名言「人生は舞台、人はみな役者」は、まったくその通りですね。

Nicoletta Ceccoli: “A Girl Hides Secrets”

ペルソナの罠(わな)

ペルソナとの同一化

ペルソナは、社会的動物であるわたしたちにとってなくてはならないもので、大人になるまでにそれなりのペルソナを持っていない場合は、いろいろと不都合や問題が起きます。

しかし、人が自分のペルソナとあまりに密着し、それと同一化してしまうと、それも問題になってきます。

洋服や化粧など、自分で意識的に選択しているペルソナならいいのですが、わたしたちは、その自覚なく、無意識に役割を演じて仮面をかぶったままでいることも多いのです。

自分の役割を演じることにばかり気を取られたり、つけた仮面を自分そのものだと錯覚して、自分自身を見失ってしまう危険がペルソナの罠です。

以下は、どれも「ペルソナとの同一化」です。

戦時下の兵士のペルソナとの同一化

まず、ペルソナとの同一化のわかりやすい例です。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの強制収容所で、虐殺や拷問、人体実験、強制労働など、残虐で非道なことが行われましたが、戦争中には、ふだん虫も殺さないような人も平気で人を殺しました。

職業や役割をまっとうするという大義名分の下では、人間らしささえ失わせるような力をペルソナは持っています。

過剰適応によるペルソナとの同一化

次に、ペルソナの形成に力を入れすぎるあまり、本来の自分らしさを失ってしまうという、過剰適応によるペルソナとの同一化があります。

外的環境に適応できたのはいいけれど、その適応が度を過ぎて、自分の内面、自分のこころとの接触を失うという状態です。

親や周りの人たちの期待に合わせて、あるいは周りに受け入れられたい一心で、周りの顔色をうかがいながら、自分のペルソナをつくって適応していったあげく、その目的は果たしたものの、本来の自分らしさを忘れてしまったりなくしてしまったりするのです。

ペルソナを発達させたクライアントの見た夢

このことに関連するとても印象的な夢を見た人がいます。

顔がない女の人がいた。厚さ10センチほどもあるパックをしているようで、それは石膏のマスクのように見えた。自分の顔にできている吹き出物のせいで、大切な人に嫌われたと思っており、このパックをして吹き出物を隠していなくてはいけないと思っているらしい。近くにいる人が、女の人をなぐさめているが、分厚いパックで顔が覆われているため、外の音は何も聞こえないようだ。

わたしは最初、この女の人を見ていたのだが、最後には、自分がこのパックの中から外を見ていた。外はぼやけてよく見えず、周囲の音もまったく聞こえなかった。

夢を見たAさんは、小学校6年生のとき日本に来て暮らし始めるまで、日本とは無縁だったのにも関わらず、今では完璧な日本語力と日本人らしい立ち居振る舞いを身につけていて、Aさんがかつて外国籍を持っていたことなど誰も想像がつかないほどです。

Aさんが大人になって、自分で自分に日本の名前をつけたとき、Aさんの日本人としてのペルソナは名実ともに完成しました。ペルソナの出来栄えは申し分なく、Aさんは表面上は日本社会に順応しているのですが、深層のAさんには、顔がなく、目もよく見えず、耳も聞こえない孤独の中にいるという一面もあったのでした。

Aさんが日本に来た年齢は、日本語習得のためには遅過ぎませんでしたが、すでに自我が形成されつつある時期ですから、新しい文化への適応のためには、自分のルーツを相当犠牲にしなくてはいけなかったのです。

子供にとって、違う方言は知らない外国語にも匹敵するほどの壁ですし、大人が思うほど簡単に子供が新しい環境に順応できるわけではありませんから、この例はそのまま転校経験にもあてはまります。

それにしてもペルソナの概念もユングも知らなかったAさんが、ペルソナの教科書にしたいような夢を見たのには驚きました。

社会的地位が高い人はペルソナに同一化しやすい

一般に、地位や名誉を得た人は、その社会的ペルソナと自分自身を同一化しやすい傾向があります。

取りたくても取れなくなったペルソナと違い、力を持っていて魅力的なためにずっとかぶっていたい仮面です。尊敬や賞賛を受けているのは仮面ではなく、自分自身だと錯覚できれば悪い気はしません。

社会的に立派だったり成功している人たちの中には、親しい友人にも敬意を示してもらいたいと思う人も多く、たとえばジョン・F・ケネディが大統領だったとき、家族も彼のことを「大統領」と呼んでいたと言われています。

逆に、人々は、社会的に低いとされている身分のペルソナ役割には自分を同一化しません。

社会で誇らしく身につけられるペルソナを持った人が、自ら好んでそのペルソナと同一化するならそれでいいのでは、と思われるかもしれませんが、人は、賞賛を受けて一時的には気分がよくても、敬意を示されているのが自分自身ではないことをどこかで知っているものです。どんなに立派な仮面でも、ずっとそれを被り続けていることには無理が生じます。

財産や名誉や地位を手にした人が、真の友情や愛情を得られにくいと感じたり、孤独な状況に陥りやすいことも知られていますが、そこには、ペルソナの罠が関わっています。

ペルソナの罠にかからないために

ペルソナの罠にかからないためには

ペルソナの罠にかからないためには、何よりもまずペルソナを被っていることを自覚することが大切です。自覚するということは、たとえばこういうことになるかと思います。

村上春樹

最近、村上春樹が自分のルーツを初めて書いていますが、文章から、世界的な流行作家という大きなペルソナに自分を同一化していないことが伺えます。

文藝春秋2019年6月号への特別寄稿、「猫を棄てる―― 父親について語るときに僕の語ること」からの抜粋です。

僕がこの個人的な文章においていちばん語りたかったのは、ただひとつのことでしかない。それは、この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ。

文藝春秋2019年6月号より

BTSの「ペルソナ」

2019年4月、韓国のヒップホップグループBTSのユング心理学をテーマにした「Map of the Soul: Persona」が、全米アルバムチャートの首位を獲得しました。ここでは、ペルソナに同一化しないための試みが表現されています。

収録曲「ペルソナ」のミュージクビデオには、グループのリーダー、キム・ナムジュンが、巨大化した自身のイメージに遭遇しているイメージが出てきますが、それは、スターとしての彼のペルソナが大きくなりすぎて、対比的に本来の彼自身が小さくなっているのだとユング派分析家、マレイ・スタインは、BBCのインタビューで解説(拙訳ブログページ参照)しています。

スタインが、BTSが世界的なスターダムにかけあがったグループでありながら、その成功に舞い上がらず、冷静かつ客観的に自分たちを見つめていることに感心しているように、彼らは、成功して大きくなったのはあくまでも彼らのペルソナであり、彼ら自身が大きくなったわけではないという自覚を持っているのです。

そして、大きくなりすぎたペルソナに圧倒される恐怖や危険を感じながら、自分自身を保ち続けようと踏ん張っているのですが、それは簡単なことではありません。

BTSのミュージックビデオはこのページに挿入しています。


ペルソナの矛盾と理想のペルソナ

大人になっても自分にふさわしいペルソナが見つかっていなかったり、あえて素の自分丸出しで生きていきたいという人は、いつも裸で歩いているようなものなので、無防備で攻撃を受けやすかったり、傷つきやすかったりします。

したがって、他人との良好な関係を築くためにはペルソナが必要なのにも関わらず、ペルソナに邪魔をされて他人との深い関係を築けなくなるという矛盾をペルソナは抱えています。

理想的なペルソナの条件として、以下のふたつがあります。

  1. 着脱自在であること。:自分の意志で選んでつけかえたり、取り外したりできること。
  2. ペルソナの下の自分の素顔が常に感じられる程度に薄く、柔軟であること。

今まで、自分だと思っていたのがペルソナだった。では、本当の自分はどこにいるのだろうと疑問を抱くことが、自分探しのはじまりです。

理想のペルソナを持つためには、無意識の知恵の出番が必要です。無意識があなたの心に働きかけ、あなたに仮面をかぶることの息苦しさを意識させ、本当の自分の存在を気づかせます。

風通しの良いペルソナを得るには、自分の心がどこまでわかるかに、かかっているのです。

山根はるみ「やさしくわかるユング心理学」より

ペルソナを知るための映画、作品、人

ペルソナといえばこの映画!


V フォー・ヴェンデッタ(2005)は、ペルソナをつけて生きることがどういうことかを描いている映画の決定版だと思えます。

内容的にも哲学的で深い作品で、出てくる台詞にはシェイクスピアのマクベスからの引用が多くて文学的でもあるこの映画、ペルソナにこじつけなくても、お勧めです。

ペルソナといえば喪黒福造!

仮面といえば、いつも同じ顔で高笑いする「笑ゥせぇるすまん」を思い出します。「笑ゥせぇるすまん」については、過去に以下のブログに書きましたので、よろしければご覧ください。

ペルソナといえばスパイ!

先ほどのAさんを始め、どこかで自分を隠して生きている、という自覚のあるクライエントさんは少なからずいます。その人たちの中には、任務を遂行している「スパイ」のイメージに自分を重ねる人も多いのです。

自分を隠し、何者かになりきって世の中と接するスパイは、ペルソナを被って生きることがどういうことかを示す好例だと思います。

このコラムを書いていて鮮明に思い出した、大韓航空機爆破事件の北朝鮮工作員金賢姫について、別のコラムでまとめましたのでよろしければご覧ください。

参考(当サイトのコラム):「北朝鮮元秘密工作員、金賢姫」

参考文献


ユング心理学入門(河合隼雄著 培風館)」は日本人の間では定番中の定番と言うべき入門書。1967年の初版から半世紀過ぎても色褪せることなく、今のところこれに勝る入門書は出ていない。

ユング 心の地図 新装版(マレイ・スタイン著、入江良平訳):ユングの著作を丹念にたどり、その理論の根底にある深いヴィジョンの統一性を明かす格好の入門書

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