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桜と日本人の心

桜に熱狂する日本人が、外国人にはナゾらしい。たしかに、ニュース番組で日本気象協会の発表する桜の開花予想が大真面目に取り上げられたり、過労や勤勉で世界的に名を馳せている日本の会社で、部署をあげて夜の花見に興じ、さらにはその花見に備え、おあつらえ向きの桜の木の下で一日中場所取りを命じられる社員がいたりするなど、外国人が聞くとさぞ奇妙なことだろう。

桜に対する日本人の並々ならぬ情熱や思い入れを外国人に説明するのは難しいが、日本人にとって、桜はたんなる草木や花の一種ではない。「サクラ」と聞くと、日本人の脳裏には、さまざまな想いがよぎる。「サクラ」には、日本人のこころの深層にまで届き、感情を揺さぶる威力がある。喚起されるのは、春らんまんで陽気なイメージだけでなく、しんみりと感傷的なものも含まれる。坂口安吾が、満開の桜の木の下には死体が埋まっていると書いたのは今から70年前だが、桜の花は、時に狂気さえ連想させる究極の陰でもあり、この陰陽合わせ持つ感じが日本人にはグッとくるのかもしれない。

歌舞伎俳優の市川海老蔵は、BBCのインタビューを受けた時、「歌舞伎を通して、日本人が持っている特別なDNAを再認識してもら
歌川広重 1834年頃 (Hanami in Osaka by Hiroshige)いたい」と語っていたが、桜も、”日本人が持つ独特なDNA”としてわたしたちに刻み込まれているに違いない。

“さまざまのこと思い出す桜かな(芭蕉)”
── 桜を見ると、あなたは何を思い出しますか?

(ストックホルム日本人会会報2018年春号に掲載されたエッセイ)

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