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このブログについて

このブログは更新終了し、雑多な新ブログを始めました。
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(最終更新日:2017年8月2日)

このブログ(記事数46で更新終了)の構成

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テーマの項目は以下の通りです。

■ 生活・文化・ニュース:日々の暮らしの雑記や、外から見た日本について。

■ ミッドライフ:ユング心理学も「中年の心理学」と呼ばれることがありますが、中年関係のユング関連の話は、こちらに入れます。

■ とくに深層心理学の領域に入らない一般心理学や心の話。

■ 深層心理学・精神分析・夢分析:ユング心理学を中心にした話。

■ 仕事:オフィス・分析心理ドットコムに関連することや、カウンセリング業界の話。

■ インフォメーション:主に、ユング心理学関係のセミナーなどの情報。

※ 2013年までに書いたブログは、http://www.bunsekisinri.com/wp/にあります。順次、こちらに移動してくる予定です。

※ カウンセリングサイト「こころの森」www.kokoronomori.se

以下は、わたしの表向きのプロフィールの裏にある長い話になりますので、ご関心のある方はご笑読ください。

ユング研究所との出会い

自慢になりませんが、スイスのユング研究所やISAP(アイザップ国際分析心理研究所)に留学している、あるいは留学したことのある人の中で、わたしほど、留学以前にユングのことを知らなかった人間はいません。心理学は専門にしていたし、カウンセラーとしての臨床経験こそありましたが、ユングに対する知識は、ほとんどないも同然だったのです。そんなわたしが、なぜユング派分析家になったのか。

2002年3月、わたしは34歳で、ヨーロッパを旅行中でした。

旅行前は、日本の大学院の学生としてダラダラと籍を置いたまま、韓国の大学で日本語の専任講師として働いていました。外国人講師なので、定収入が保証されて休みもたくさんあるのに面倒な義務は少なく、職場の中でも外でも、無責任な旅行者気分でいられる気楽な立場。海を臨む高層ワンルームマンションで快適なひとり暮らしをしながら、「ここはまるで竜宮城、このまま、浦島太郎生活を続けてはまずい、年齢も年齢だし、そろそろケッコンもしなくては。」などと思いつつ、快適なぬるま湯からなかなか抜け出せないという、典型的モラトリアムでした。(ちなみに、当時の34歳は、世間の常識では、かなりはっきりと「結婚適齢期を過ぎた(嫁に)行き遅れ」とみなされていました。)

とりあえず韓国生活にはピリオドを打つことにして、次の放浪先を決めてそちらに移ろうとしていた、その境目の時期のヨーロッパ旅行です。

ベルギーの友人を訪ねていっしょに旅行したあと、スイスにいた友人宅に転がりこみました。友人は平日は仕事をしていて忙しかったので、わたしはひとりで、今日は何をしようかなという毎日でした。

そこでふと「そういえば、‟ユング研究所”っていうのは、チューリヒにあるんだっけ。」と思い出したのです。
ユングについてはほとんど知りませんでしたが、その単語だけ、頭の片隅でかすかに覚えていたのが出てきました。

インターネットで調べたら、ありました。
それで、たんなる、暇つぶしの名所旧跡観光感覚で、ふらりと行ってみたのです。

ユング研究所のあるチューリヒ郊外、キュスナハトはそれはそれは素敵な町でした。
スイス自体が、どこに行っても絵葉書の世界ですが、キュスナハトはまたひときわ別世界のように感じられました。

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駅を出て、湖畔に出ると、小さな港があり、そこからすぐに、おとぎ話の絵本の世界が広がっています。その日は小春日よりのぽかぽか陽気で、人気(ひとけ)のない湖畔の公園には、小さなかわいい野の花が咲いていました。

観光目的地のユング研究所は、その公園の続きの同じ区画にあり、「研究所」と聞いて想像するイメージからはほど遠い、かわいい一軒のおウチでした。

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湖に面した研究所の美しい庭に続く門は、呼び鈴を押すまでもなく簡単に開いたので、わたしは、秘密の花園にやってきた少女のような気分になって、うっとりとしながら中に入りました。庭には人影もなく、静まり返っていました。

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と、ちょうど、日本人かなーという女性と、明らかに日本人とわかる男性がいっしょに連れだって門から出て行くのとすれ違ったのです。

いったん、すれ違ったあと、くるりと振り向いて、日本の方ですか?と声をかけると、女性は、研究所の研究生、男性はわたしと同じ観光客でした。ふたりは今、偶然出会って、男性が研究所の話を聞きたいので、ちょっとお茶でも、ということになったところ。よかったらいっしょにどうぞ、と言ってもらい、二つ返事でついて行きました。

その、今では日本でユング派分析家として活躍している日本人女性は、当時50代。日本で大学の教授として何不自由ない暮らしをしていたのに、先のことは考えず思い切って辞職してスイスに来たこと、ユング研究所の講義は英語でも聴くことができ、聴講生という身分なら誰でもすぐなれること、もうすぐ春の3ヵ月コースが始まること・・・等々を教えてくれました。

観光客男性は、少なくともわたしよりユングのことを知っている理系の若手研究者で、学会で近くまで来たついでに、「かの有名なユング研究所」に立ち寄ってみたと言っていました。ふたりでいっしょに話を聞きながら、目を輝かせているわたしの横で、でもボクは日本が好きだし、日本を離れたくないなぁと言うので理由を聞くと、「食べ物がおいしいしー、なんといっても女の子がカワイイから!」と言って、小柄な童顔にあまり似合わない口ひげで、ニカーっと笑っていたのが印象的でした。

・・・今も、あの日のシンクロニシティ、彼と彼女に本当に感謝しています。
あとで聞くと、当時研究生だった女性は、あの日、とても久しぶりに研究所に出向き、図書館にほんの短時間だけ寄ったところだったそうです。

あの日、彼らに偶然出会わなかったら、そして、あの日の天気があんなによくなかったら、今、わたしはここにいません。
人生とは、誰にとってもそういうものだと思いますが。

ユングなんかに何の関心もなかったわたしは、ただただ、「このおとぎ話の絵本のような空間に、3ヵ月間、身を置きたい」という一心で、火事場のばか力を使って万難を乗り越え、スイスにそのまま居残りました。

本当に「そのまま」残り、いったん帰国して準備ということすらしなかったのです。
頭を冷やすために、ベルギーには戻って、ベルギー人の友人を相手に、「こんな無謀なことをしてもいいものだろうか。」と形だけの相談はしました。

あのとき使わなかった復路便のフライトチケットを、今も記念にとっています。

これほど不純な動機で、そしてこれほど滅茶苦茶で行き当たりばったりのやり方で強引に研究所生活を始めた研究生は、日本人はもちろん、外国人の中にも、珍しいと思います。珍しいというより、後にも先にもまずいないでしょう。

キュスナハトのこのユング研究所は、それからほどなく分裂して「‟旧”研究所」扱いになり、日本からの研究者の留学先ではなくなりました。現在は、チューリヒの都会の真ん中に位置するISAP(アイザップ国際分析心理研究所)が中心的機関です。それを考えても、まだ日本人留学生がいた最後の時期に、ふらりとあそこを訪れた偶然って不思議だなぁと思えます。

精神分析との出会い

ユングがどうでもよかったわたしは、当然、精神分析にも関心はありませんでした。
自分が精神分析を受けるなんて、想像したこともありませんでした。

でも、おとぎ話の世界に身を置くためには、表向きの言い訳が必要だったので、ユング研究所の聴講生になったのです。

それで、自動的に、精神分析も受ける羽目になってしまいました。

何の期待もなく、ものは試しと、分析を受けに行ったのに、わたしは、すぐにハマりました。

以下は、旧ブログページに書いたことです。

2002年に、精神分析とユング心理学に出会ったわたしは、「一生、飽きない面白いものを見つけた!」と興奮しました。
なにごとも熱しやすく冷めやすいわたしは、それまで、いろんなことに関心をもっては、「コレだ!」と思って首をつっこんできましたが、たいていは、そのうち熱が冷め、どうでもよくなってしまうということを繰り返していたのですが、このとき感じた「コレだ!」の手ごたえは、それまでの「コレ」とは、はっきり異質のものだったのです。

精神分析がこんなに面白いものだったなんて、夢がこんなにすごいものだったなんて知らなかった!
ユング研究所で学び始めて数年後、「これを、アカデミックな心理学者たちや、悩みを抱えた人だけのものにしておくのはもったいない!」という思いからホームページも作ってみたものの、伝えたいことをどう表現していいのかわからないまま、月日は流れました。

スイス旅行中にふらりとユング研究所に立ち寄ったあの日から、もうすぐ10年。
精神分析は面白い、無意識はすごい、という感動と驚き、そしてそれを表現できないもどかしさも変わっていませんが、数年間放置していたこのサイトを少しづつでも充実させていければと思っています。どうぞよろしくお願いします。

(2012年1月記)

最後の段落以外は、2005年にホームページを始めたときから文言を変えていないのですが、あれからまた4年が経過した現在も、あまり書き直すことがありません。

ただ、わたしがずっと「これを、アカデミックな心理学者たちや、悩みを抱えた人だけのものにしておくのはもったいない!」と言い続けていたのは、何を隠そう、自分がこんないきさつで、ユング心理学を始めたからだということは、今、初めて白状しています。

そして、今、改めて言えることがあるとすれば、結局わたしが伝えたいことは、ユング心理学や精神分析そのものではないということです。いろんな人や、あるいはいろんな宗教や哲学が、そして芸術が、「同じメッセージ」を伝えていると感じることがよくあります。それは、何らかの「真理」といえばいいのでしょうか。ユング心理学や精神分析は、そこに触れることのできるたくさんのもののひとつにすぎず、当然ながら、絶対的なものでもないと思っています。

ユング心理学とわたし

「ユング派分析家」という資格を水戸黄門の印籠のように使っていながら、他のところでも書いたように、わたしは、ユングの著作そのものは、あまり読んでいません。

ユングにはたくさんの著書がありますが、どれもこれも、最初からきちんと読もうとすると、わずか数行で必ず睡魔に襲われるので、ユングを読んで共感した、という人に会うたびに、よくあんな難しい本が読めるなぁと、尊敬のまなざしになります。

その程度のわたしが、わたしの頭でついていける範囲だけでも、自分を含めた人間の心理を理解するのに役に立つことがたくさんあります。

自分が、ユングの全体的な世界観や思想を理解できているなどとはみじんも思っていませんが、だからといって、卑屈にならなくてもいいのが、ユング心理学のいいところです。基本的におさえるべき点を除けば、あとは、自分にとって役立つにところだけを、自分なりに理解すればいいのだと思っています。

他のユング派分析家の名誉のために補足しますが、わたし以外の、とくに日本人のユング派分析家は、たいてい、もれなく正真正銘の名実ともに立派な知識人ですから、ユングの著作も制覇しているはずです!

カウンセリングとわたし

ユング心理学にも精神分析にも興味がなかったわたしですが、一応、日本では心理カウンセラーとして働いていました。
でも、スイスに来たとき、カウンセラー業は中断していて、将来、その仕事をまたやりたいという気持ちはなかったのです。

芋づる式に「ひとり白状大会」みたいになってきましたが、カウンセラーになったのは、こういう経緯でした。

バブル全盛期のミーハー女子大生 → 地元の地方銀行に腰かけ就職

銀行で新人研修後に配属になった企画部での仕事が予想外に楽しかったので、腰かけではなく、ずっと働きたいと思いました。社会人になって、自分でお金を稼ぐことの楽しさに味をしめたのです。
しかし、この先ずっと、サラリーマンとして、限られた休暇しかない人生が続くというのは耐え難いとも思ったのです。週休二日制が始まったばかりの頃で、カレンダー以外の休暇があるとすれば、「もし結婚すれば」最長10日間の新婚旅行に行けて、それが御の字という時代です。

それで、銀行員にはさっさと見切りをつけ、手に職をと大学院に行って臨床心理士になることにしました。

猪突猛進の勢いで、心理カウンセラーへの道をかなりインテンシブに突き進みました。指導教授と環境にも、自力で見つけた研修先にも恵まれ、すんなりとその道が開けた一方で、修士論文を書くための統計調査研究にものめりこみました。個々のケースを扱う臨床心理学は、その性質上、どうしても自然科学としての学問的には評価の対象になりにくいのですが、わたしがたまたま興味をもったのは評価の対象になりやすいオーソドックスな心理学の研究でした。Optimism、楽観主義がテーマで、その研究の成果をまとめた論文は、国内では権威があるとされる学会誌に掲載され、それから20年経っても問い合わせがくるほどなので、修士論文としては、上々の出来でした。調子に乗ったわたしは博士課程にも進学して、心理カウンセラーとしての臨床の現場と、大学院での研究と両方、二股でやっていたところ、そこで・・・バーンアウト。ということにしておきます。このあたりの詳細を書き始めると終わらなくなってしまうので、またの機会に。

両方中断して韓国に逃げ出して距離をとって眺めてみたら、研究は、やっている間は楽しかったけれど、ずっと続けたいというほどのものでもなく、もう二度とあれほどの情熱は注げなさそうだし、臨床の仕事は自分に合っていたけれど、相当な負荷もかかっていた・・・ということに気付きました。それで、研究の方は、ゆるゆる続けるにしても、カウンセラー業は、足を洗ってもいいかな、と思っていました。

それが、ユング研究所の聴講生になったときのわたしの実情です。

プロフィールとしては、一見、つながって、つじつまが合っているように見えますが、ユング研究所の建物とロケーションだけに魅かれてユング心理学を始めたのが本当の理由で、カウンセラーの仕事の役に立つようになんていう殊勝な理由で始めたのではありません。

分析家の資格を目指すことになったのは途中からの話で、精神分析の面白さにハマって、3か月の予定が5年になりました。

改めて、このブログについて

今までも、時々、小出しには暴露してきた自分の過去ですが、今回、今までの20倍分ぐらいを一気に書いたでしょうか。
ほとんど人目に触れることのない零細ブログとはいえ、かなりカミングアウトした感があります。
自分のことを話すのは勇気が要るものですね。

長々と書きましたが、こんなわたしが、書いているブログです。

何をどこまで書けるかわかりませんが、今、わたしは、組織に属していないし、しがらみもあまりない立場にいますので、誰にも遠慮せず、人目や評価を気にせず、勝手なことを書いていくつもりです。
人生のタイムリミットを意識し始めた昨今、いろいろ開き直って生きていこうと思っているし、老眼も進行しているので、いつまで、パソコンに向かえるかもわかりませんので!

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました!
(2016年48歳の春に、スウェーデンにて記。)

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