ブログ・コラム

精神分析について

「こころ」の大部分は「無意識」にある。

わたしたちの「こころ」は、いまだに神秘の世界で、謎に満ちています。 自分でもつまらないと思うことに腹を立てて怒ってみたり、くよくよと思いつめたり、理由もなくイライラしたり、悲しく落ち込んだ気分になることがあります。そうかと思えば、むしょうにいい気分になることもあります。音楽を聴いたり絵画を見て心が和んだり、また異性に対してときめいたり・・・こんなこころの動きがなぜ起こるのか、自分ではほとんど説明がつきません。
これは、わたしたちのこころの大部分が「無意識」に属しているからだといえます。「意識」がわたしたちの知っているこころの領域だとすると、「無意識」はわたしたちの知らないそのほかのすべての領域です。「意識」は氷山の一角にすぎず、その下に広大な「無意識」があるのです。

精神分析といえば、フロイト

この無意識の領域を重視し、「精神分析」を創始したのがフロイトだということはよく知られています。ユングやアドラーは、初めフロイトの弟子でしたが、途中からフロイト理論の一部に同意できなくなったために、フロイトのもとを離れて、独自の理論を展開していきました。そのため「フロイト派」「ユング派」「アドラー派」あるいは「新フロイト派」などといろいろな学派ができたのですが、どれもが、フロイトの精神分析理論を土台にしていることには変わりありません。

精神分析は“無意識”にアプローチするひとつの方法

精神分析では、無意識や深層心理を扱いますが、「扱う」というのは、「無意識」の領域に「意識」の光を当てようとすることを指しています。意識と無意識の間には、ふだんはあまりつながりがありません。そのつながりを、少しでもよくしてやろうというのが精神分析の目的とするところです。
「無意識」の中にあることは、いつまでたっても、ほとんど同じ状態でそこにあり、コントロールすることは不可能ですが、ひとたびそこに意識の光を当てると、「意識化された無意識」は、すでに無意識ではありませんから、コントロールすることもまったく不可能ではありません。「症状」や「悩み」が、精神分析によって、根本的に解消されるのは、そのためです。

自分を知るための精神分析

精神分析は、自分を知る上で、大変役に立つので、とくべつな「症状」や「悩み」がない方にもお勧めです。自分のことは知りつくしているというのは、思い込みにすぎず、「本当の自分らしさ」とか、「自分のもっている可能性」については、どんな人も知らないことだらけなのです。
精神分析はよく「未知なる自分のこころへの探検や冒険」とか「自分の知らない自分に会える旅」にたとえられます。それを少しでも知ることが、どんなにエキサイティングであるかは、ちょうど、見知らぬ国に行って、新しいものに接する驚きや喜びと似ています。
もちろん、自分のこころを探検する行程では、「自分の知らなかった自分の嫌らしい面や、汚い部分」を目の当たりにして落ち込んでしまうこともあります。そんなものなら、知らないままでいたかったと思うかもしれません。でも、否定的なものからも目をそむけないで踏ん張っていると、不思議とそれが、肯定的なものに変わってきたりします。世の中に、本当に「悪」でしかないものなんて、ありません。汚いもの、悪いものとして、隠したり抑えつけたり見ないようにしているうちは、「悪」でしかないものも、取り出してよく眺めてみると、そんなに悪いものでもなかったりするだけでなく、むしろ、それが、新しい活力源になったりするのです。

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